朝が来る。朝が来ると、死にたくなる。始まりの予感に頭痛がする。朝日に照らされるのが気まずくてたまらなくなる。全部をやめてしまいたくなる。
これまで、「死にたい」って言葉をあまり選びたくないと思ってきた。なぜなら、俺はたぶん、まだ死なないからだ。そういう人間が、「死にたい」と言ってしまう軽薄さは、ただ軽薄に生きているだけの人間のそれを優に上回る。だから、なんとなく言葉を選んできた。消えたい、だとか、やめたい、だとか。本質的には「死にたい」と言っているようなものだけど、〈死〉という言葉を避けてきた。それが誠実だと思っていたし、正しいと思っていた。
でもどうだろう。俺がこういうスタンスを取ることによって、誰かを窮屈にしたり、誰かが「死にたい」と言うことによって少しでも気が楽になるのを憚るようになってしまったら、それはきっと俺が望むことじゃない。人は別に軽薄でも不正解でもよく、少しでも楽に生きれるなら言いたいことは言うべきだし、少しでも楽しく生きれるならやりたいことはやるべきだ。だから、俺はもう少しだけ軽率に「死にたい」と言うことにする。死にたい。俺の人生はそこそこ辛く、生きているのは苦しい。そう言ってしまっていい。正しさや極端な内省という呪いからの解放が必要なのは、俺自身のためはもちろん、周りの人間のためでもある。だから、俺はもう少しだけ身軽になる。本当に大切なものを落としてしまわぬように。
前にバイト先の店で他の客と殴り合いの喧嘩になりかけていたヤバいおばさんがまた店に来ていた。(この人出禁になってないのかよ...)って思ったけど仕方なく接客してたら案の定話しかけられて(俺はこのおばさんにめちゃくちゃ気にいられている) 、なぜか耳打ちしてきたから何言われんのかなって思ったら、「あなた可愛いわね。犯したいわ。」って言われて、流石にセクハラが常軌を逸し過ぎていて笑った。もう来ないでください。
かなりの頻度で会う、アル中で様子がおかしくなっている人にバイト中、「〇〇くんはここでバイトしてるの?」って聞かれて怖かった。そうじゃなかったら俺は今まで何をしていると思われてたんだ。でも、そんな状態なのに、初めて会った時に1回名乗っただけの名前をずっと忘れずに覚えててくれて嬉しい(酒飲みの記憶力は基本的に終わっているため)。俺が何者かなんてどうでもいいですよ。お兄さんに幸あれ。
新宿で飲む機会があったんだけど、銀だこの隣に飲み屋が隣接してる、銀だこハイボール酒場みたいなところがめっちゃよかった。初めて行ったんだけど、まず銀だこを食いながら酒を飲めるのが良すぎる。あと安い。色んなところにあるみたいだからまた行きたい。そのあとは適当なカラオケバーに入った。カラオケの点数の上2桁でゾロ目を出したらテキーラを飲まなければいけないとかいうゴミみたいな店ルールがあって、一緒に行った人がゾロ目出しまくってて面白かった。
早朝にラーメン食べて帰った。麺処にしき、美味しかった。ちゃんと美味いラーメンなのに、場所柄か営業時間がバグっているので飲んだ後とかにおすすめ。
準備にあんまり参加してない大学のグループ発表に、申し訳なさそうな顔をしながら出席した。みんな本当にありがとう。あとは、提出期限2分前にレポート提出に成功して、脳汁が出た。みんな本当にありがとう。
死にたいって言われたときに、なんて返したらいいのか分からなくなってしまった。死んじゃダメだとか、死ぬなとかは、多分、当人はそんな言葉望んでないんじゃないかと思う。でもだからといって、死んでも良いよって言うことはできない。どうせ死なないのだから、死んだって良いって言ってやるくらいがちょうど良い慰めだ、みたいな気持ちにもなれない。嘘はつけない。友達が死んだって良い訳がないから。でもでもでも、人には死ぬ権利があるというのも、また事実だ。いくら大切な友達とはいえ、他人が死のうとしているのを止める権利は誰にも無いんじゃないかなとも思ってしまう。
だから、「死んでもいいけど、君が死んだら俺はとても悲しい。死んでもいいけど、君が生きてくれたら俺はとても嬉しい。」くらいが、もしかしたら嘘もなくて且つ、最大限正しい返答になるのかもしれない。でも、こんな怯えた言葉で何かが変わるんだろうか。正しさと嘘の無さを追求した言葉に、本当に人を思う気持ちは宿るんだろうか。俺は馬鹿だから、相手が大切だったら、「俺が最高の人生を見せてやるから、俺についてこい」くらい、意味も分からないし無責任なことを言ってしまうかもしれない。自分がいちばん迷子なくせして大口を叩くから多分上手くもいかないし、相手に普通に気を使わせるだけだと思う。でも俺は馬鹿だから、相手に気を使わせてでも現世にへばりついてくれたら、それで嬉しいなと思ってしまう。
誰に宛てるでもないからあえて言うんだけど、死んでもいいけど、君が死んだら俺はとても悲しいし、死んでもいいけど、君が生きてくれたら俺はとても嬉しいし、死んじゃダメだし、俺が最高の人生を見せてやるから、俺についてくればいいし、人は別に死んでもいいし、死ななくて良かったと思う日がたまにはあるということを伝えたいし、人には死ぬ権利あってそれは誰にも侵せないし、死ぬな。
結局俺はここにいる。ほんとうに楽しい詩を書いて、わけのわからない文章を書いて、ママキンだとかセイキンだとか丸亀製麺のトレイだとか言い続けている。よかった、安心した。ママキンは誰にも奪えない。
カラオケで69点とった人が、卑猥だとか言われてテキーラ飲まされてたときも、知らないホストがエアリズムを変形させて着て、オフショルごっことか言って冷笑されてたときも、俺はここにいた。だから大丈夫、大丈夫だよ。ママキンは誰にも奪えない。