階段

 

 

 

 

俺は人間になれない。けっして人間にはなれないのに、最も人間的な部分から降りられないせいで今日も苦しんで苦しんで苦しんでちなみにどうしてこうなった?嘘をつき続ければよかったのか?嘘みたいな表情をして嘘みたいな言葉を使って嘘みたいなコミュニケーションを取って嘘みたいな関係を築いてその結果手に入るのは本当の愛か?本当の友情か?自分が人の優しさを食い潰していないと言えるか?人に優しさを食い潰されたら、同じように人の優しさを食い潰す権利が得られるのが人間のルールなのか?それでその権利を行使できない「本当に優しい」奴がそのクソみたいな循環を自分の番で止めて、誰に褒められるでもなく人知れず泣いて死ねばそれで満足か?止まった電車に舌打ちするお前らこそが本当の人間なのか?俺は「本当に優しい」奴だからずっとこのままでいればいいんだろ?訳の分からない詩を書き続けて気が狂って、お前の人生を彩る頭のおかしい奴の一人として便利な舞台装置に終始すればいいんだろ?もし俺がそうじゃない人間になったとして、お前は俺に少しも落胆しないと言い切れるか?一体誰が俺を抱きしめてくれるんだ?このまま生きていたら誰かが俺を愛してくれるのか?愛されなくてもいいから嫌われないように傷つけないようにせめて役に立てるように謙ってひたすら卑屈になって、それでも嘘はできるだけつきたくないから言葉の使い方を考えて考えて考えて考えすぎだと笑われて可哀想だと言われてありがとうと手を振られてじゃあ誰が俺のことを考えてくれる?俺はただ穏やかに流れ続ける川であることが責務なのか?健常者返答クイズに失敗して泣いて、ほとんどカウンセリングみたいな音楽を聴いて、夢を見て、魘されて、そうまでして孤独であることはこの期に及んでまだ勇敢と言えるか?俺を完全に達観した仙人か、自主独往な詩人だとでも思っているのか?俺からは性欲を感じなくて安心するって、俺に性欲があることがバレたら俺は嫌われるのか?お前は俗っぽくなくて賢いのが良いからずっとそのままでいてくれよって、俺が普通に生きることを望んだら俺はもうつまらない人間なのか?

こんなことを言い出す奴は怖くて気持ち悪いんだろ?お前らはいつもそうだ。誰かに善人になることを押し付けるくせに、そいつの気が狂ったら遠巻きに眺めるだけだ。死ねよ。

 

悪意だけが人を傷付けるという幻想

 

悪意だけが人を傷付けるという幻想

優しさはときに悪意以上に人を傷付け

常態は常態であるがゆえに誰かの絶望となって

傷心は循環する、それを食らうもののために

 

言葉が最後の砦であるという幻想

美しいを方策とする、些か頼りない言葉は

その言い訳ごと飲み込む円環として存在した

言葉は循環する、それを食らうもののために

 

誠実であることが道を切り拓くという幻想

悪意を持つこと、そこからの未来

裏切ること、そこからの景色

和集合であること、ああその恐ろしさを知る者よ

 

遠路はるばるやってきた楽団への配慮が懇切丁寧であるという幻想

いえいえ、どうも。今夜の魚醤は~魚醤?!

意外とそうでもない?意外と、とは言える

むき出しにされた一般論には、踊りでお返しします

 

素潜り中、各位の魂置き場が現世に設けられているという幻想

偉大なるものの懐へ、その実、慇懃無礼か?よくみると発生源。どこがホームドアなのでしょう。

根を張るという言い訳。手足の長い動物。ありがとうございます、火。

98円均一の水族館。アクアリウムを塗るぜ、緑や青に。怖いです。(教育の産物である。それらの色。)

 

だ、なぜか。青底翳(劇場で流れ、そして流行る)。敵意を持った、おっしゃる通りです。隅付き括弧・スノードーム有り・隅付き括弧閉じ。という幻想

講演会帰りの能楽師(または、鷹匠をしている兄)曰く、「選ばれていてはいけない、同時に選びすぎてもいけない。」

かいわれ大根、終末、先生さようなら、豆苗、などに代表されるスプラウトのち、雷雨。青白い太陽がフィルムカメラを席巻。徐々に近付いて来て、青白い光が降る、染める(易)

かなり潜られることに特化した深海(いくつかは横から見たとき肉食すぎるので避けられている)。まだ名乗る前から(ここにいますか?)。相当数描かれてきた暮らしと(ここにいますか?)。消費者よ聞け!腹話術を学べ!そして描け!(ここにいますか?)

 

(まだ立体的であるという驕りと人間的意識・ 自立を例に)四季に関係する犯罪がユーチューブチャンネルで紹介という幻想

頻出・コンクリート(銃撃戦の)。それとなく描かれたキリシタンから異なる時間軸へ!!素材の味をそのまま活かしたことがある子供。(汽水域の上位互換)!!!!

大きい声の境目。二階のトイレ(或いは?)想像以上に閉ざされていた場合 現在。認識論的なユーチューブチャンネル(ここにいる)ユーチューブチャンネル(まだある)ユーチューブチャンネル(それとなく)

「開かれたとき、また新しい扉を探してしまう?(浸透した計算ドリルへの眼差しか)」

「うん、それよりさ、自動包丁があったのに、いつそこを出たの?(栄養素、また、緑のグラフ)」

「(!新しく)後悔後。見損なった?」

「やみくもに敬語を話すよりマシだと思う。(糸を引く、音を降らせて、人、人、人と)」

「ああ、それについてはね.....」

 

喋り続けるために

 

YouTubeショートで流れてきたクレヨンしんちゃんの動画に感化されて、劇場版のものをいくつか観た。ここ数日崩していた体調がようやく良くなってきて、なんとなく活動意欲が湧いてきたので、その一歩目として映画を選んだ訳である。俺にとって、映画を観るという行為はそこそこ体力を使う。が、クレしん映画はあまり深く考えずとも楽しめるので、その点気楽に観れて丁度良かった。

内容もおもしろかった。俺は幼少期からクレしんの漫画をけっこう読んできているそれなりのフリークなので、あのくだらなさがなんとなく肌に合う。また、クレしん映画といえば、〈大人も泣ける〉という触れ込みが定着していると思うが、俺が普段、その辺の邦画やらオリジナルアニメ映画やらの露骨なお涙頂戴展開に、お察しのひねくれ具合相応に冷ややかな目を向けてしまうのに対し、クレしんに関しては第一に〈子供向けである〉おかげで、大人がわざわざ観たうえで冷めた態度を取る意味のなさとダサさを見出すことができて、むしろ清々しく感動することができた。(できて、できたの幼児性)

めんどくさいことを考えながら観てるんだなと思われるかもしれないし、これくらい厄介な自意識を抱えながら往くのが令和のネチケットですよ、と共感する人もいるかもしれない。それか、みたいなことを言い出すのは些か露悪的過ぎる、と思う人もいるかもしれない。あらゆる美しい破滅から〈露悪的〉という要素だけを抽出してきて、不純な信頼を得るために露悪 露悪 露悪 みたいなことをしていたら、それってただの露出狂じゃねえかという自覚はある。そして、俯瞰即ち解決ではないので、どれだけ先回りしたとしても本当の意味での安全圏に俺がたどり着くことはない。俺はゴールの無いフラクタル構造をいつまでも縮小し続けている。

 

映画を観終わったあと、Xを開いて絶望した。世界はクレヨンしんちゃんではなく、考えるべきことがたくさんあり、批判するべき人がたくさんいて、同時に寄り添うべき人がたくさんいるようだった。

なにも考えずに、己の快・不快に身を委ね二項対立の片側に立つのは簡単なことである。そして、「争いなんてくだらない、みんなが優しい世界になりますように」と、ひとつ降りたところで佇むのも意外に簡単である。いちばん難しいのは、大きな意味と覚悟を携えて対立の片側に立つことと、大義を以て対立の真ん中に立ち、双方を広く繋ごうと試みることである。

 

 

俺は、いちばん難しいことをしたいと思う。いちばん難しいとして挙げたことが、いま、最も正しいと信じているからである。いまの俺は、良くても佇んでいるだけだが、せめて、「優しい世界になりますように」とでも喋り続けるべきである。雄弁は銀、沈黙は金?うるせえ。喋って金になるんだよ。

 

たとえば、俺は詩を書く。単なる趣味、と言い切ってしまった方がクールなのかもしれないけど、俺にとっては、もうなくてはならない存在である。

 

 

俺は、ひとりで勝手に難しく生きるために、詩の中ではできるだけ正直にいたいし、いるべきだと思っている。嘘をつくときは、嘘をつくために姿勢を正すべきだと思っている。この行いが、上述した〈絶望〉に抗う術なのか、いまはまだ確信が持てない。しかし、俺がこの考えを持つに至った人たちの言葉や、絶望のなかに光を見出してきた人たちの言葉は、どれも驚くほど正直で、ときに〈露悪的〉である。

しかし、〈正直〉を突き詰めるというのは、上述した「快・不快に身を委ねる」という状態と紙一重なのではないか、と考えることもできる。あわや、そのまま二項対立の片側に無思慮にも立ってしまうのではないか。

俺は、正直になることこそが、配慮へのスタートラインだと思っている。いま、無配慮に二項対立の片側に立っている人の中に、自分が無配慮であると思っている人はいない。しかし、その認知は歪んでいるのではないか。とめどなく流れる濁流のような情報に雁字搦めにされているのではないか。だから、ときに〈露悪的〉なほどに、〈正直〉になってみる必要がある。一度、まっさらになる必要がある。そのとき浮かび上がってきた自分との対話を経て、人は本当の意味で他人を知るのではないか。

どこか性善説じみているかもしれない。そもそも、露悪的なほどに正直になるという行為自体、なんらかの痛みを伴う上に、当人の善性に頼り切りである。

俺にとって詩は、まっさらへの過程なのかもしれないし、単なる憂さ晴らしなのかもしれないし、承認欲求を満たすための道具なのかもしれないし、それらは時と場合によって異なるのかもしれない。結局のところはなにも分からない。ただ、この生き方だけは俺が俺のままでいられるな、とだけ思う。

本当の自分はどこにいるんだろうと思うことがある。いつか、これが自分である、と断言できる日は来るのだろうか。分からない。これからのことは何も。だが、あのとき諦めなくて良かったと思うことで駆動していくのが俺の人生なら、そう思わなくなるまで生き続けるだけである。

コンタクトレンズ カス なぜ

もう死んだ方がいい。アイデアがなく、なめらかでない頭の中から頑張ってとにかく頑張って罵詈雑言をひねり出して精一杯なめらかなカーブ状に加工して投げて遊んでいたら、それはさぞ衒学的だみたいな視線を避けて避けて避けて投げるのが目的なのか避けるのが目的なのか分からなくなってきて、難解な世界観にたいして哲学的だみたいな感想を持つな殺すぞみたいなことを言われたことがあるような気がして、ああ確かにそうですねエヴァンゲリオンとかねと思いながら抜本的には死んだ方がいい。寝る度に必ずと言っていいほど悪夢をみる。毎日夢の中で人が死んだり街が破壊されたりもはや痛みを感じている時もあるような気がするので寝るのをやめようかな。やめない。エビオス錠を一日に1000錠くらい飲み始めたら鬱が体の芯から湧き出てくる取り返しのつかない狂気みたいなものに変転してきていて、良いか悪いか当たり前の幸福とか 常套句 世俗 生活 に興味が無くなってきて、かといって完全に自主独往かといえばそうでもなく、この先の悲惨な結末を想像しては怖くなったりこの航路が人を愛し愛されるような未来からは確実に逸脱していくだろうなという気持ちに耐えられなくなってエロいだけの女性にエロくないふりをしながらLINEを送ったりしてしまうこの二面性をオナニーをすることによって切り替えながら笑顔が怖くてしょうがない。近視眼的が足りねえよ。描写するには捉えどころない子供っていう歌詞があってすごいと思った。基本的に頭が悪い。着眼点だけで生きていこうと思う おばさん。俺の言っていることをはやく理解してくれ。俺のことを誰も理解するな。フワちゃん元気?ビブリオバトルでいっさい読んだことない本をWikipediaのあらすじだけ読んで紹介したら優勝した。新潟の潟もそろそろ書き慣れてきたなと思った2月だったがいつの間にかインターネットでエロ垢女になっていた高校時代からの女の友達が酒に酔った勢いでわたしのガチでエロい動画(※ガチでエロい)見る?って聞いてきたのでハチャメチャに勃起して「見る」って言ったら本当に送ってきたんだけどいざその動画を目の前にしたら本当に見れなくなってしまってやっぱり見れないって言ったらその日から連絡が返ってこない。完全に俺が悪いんだけどよく分からない感情になってしまって次の日ひとりで上野の動物園に行って2時間ゴリラだけを見続けていたらゴリラオタクのおばさんたちがなにやら最近京都の動物園から来た有名なゴリラを見るために見えない場所から全然出てこないゴリラが出てくることを信じて結構な人だかりを作って待っていて頭の中に手垢でベトベトな風刺をうっすら思い浮かべながら全然混んでない恒常のゴリラを見続けた。たまにゴリラ同士で喧嘩するのが面白くて「また喧嘩しろ」とか思ってしまう自分にたいして結構落胆しながらホッキョクグマのコーナーに移動したら一際大きな風が吹いて片方の眼のコンタクトレンズが外れて帰らざるを得なくなった。風死ねよ。コンタクトレンズもカスすぎるだろ。

えんけい

 

ある山の麓で鳥が鳴いた

鳥の名前は分からない

分からないのだから、鳥には名前が無かった

その手触りのなかで、詩は成り立った

 

一際長く伸びた木の上に数羽の鳥が止まった

思惟の出処を探るように、鳥たちは周りを見渡し

やがて、自ずから童話となった

 

残雪である

残雪が、童話の持つ屈強な成人性と共に

無断転載として結実した

もちろん、良い意味で

 

木の名前は分からない

分からないのだから、木には名前が無かった

 

いっぽう、あるワンルームでは一人の男が

ワンルームのシンボリックと

改札への誠実さとの間で、自己規定を迫られ

開け放った窓から忍び込む、銀杏の香りと

メジロの鳴き声を 大きなあくびで一身に請け負った

 

男は、自らの行いそのものに纒わり付いた

比喩を洗い流し、

一切の詩性を排除した述語になったあと、

少しの不安と共に、眠りについた

 

このとき、朝日とはナイロンがこすれる音である

全てのはじまりのはじまりに、ナイロンはこすれる

否応なしに、母親から持たされた呼び水と共に

男はやがて山となり、鳥となり、木となる

 

男の名前は分からない

分からないのだから、男には名前が無かった

 

言うまでもないが、

然るべき横断歩道は見失わない方がよい

 

 

穿って

 

路上は縦に揺れ 歩幅は宙を舞って

コンクリに頬ずり 僕は思い出した

 

善し悪しの定義に 立ち返った世界で

先生はどこですか 誰が僕を正してくれんのかな

 

生きていては届かない 死んでいては生きれない

雨は両義性で 僕を包んで やがて微睡んで

抵抗虚しく 潔白剥奪 それでも明日は来ると知って

 

    暗がりを抱いて 勇ましく泣いて

    僕は無知のまま 無知を断つ

    ただ人と生きるため 手段にされた言葉で

    意志だけを感じた 絆されてしまわぬように 

 

望郷と温み 恒久的な幸福

そこに居れないなら 終わりだった

 

感傷が散らばって 雁字搦めの部屋で

神様はどこだっけ 誰が僕を救ってくれんのかな

 

忘れていては届かない 覚えていては忘れない

そこに居れないから 咲かぬまま 旅立った

いっそ勇ましい 不浄の魂 もう昨日は戻らないと知って

 

    惨めさを連れて 信仰を裂いて

    君は不幸なまま 不幸を断つ

    ただ人を生かすため 手段にされた言葉で

    本心は秘匿して 図られてしまわぬように

 

今日までの夜 見失っても

面影と共に やがて芽吹く

 

今日までの夜 見失っても

面影と共に やがて芽吹く

 

    太陽を目指して 焼け落ちた言葉で

    人は無情なまま 無情を断つ

    ただ君を信じた 肯定の言葉に

    いつの日か報いて 掻き消されてしまう前に

 

ネーミング・ライツ

 

寸胴をぐるぐるまわっていたら、時計ずれた

拝啓 あたまへ、筋金入ってはどうすか

たとえば、日付変更線は前転で超えろ

置いてかれんなよ、置いてかれたとしても

 

あの橋の存在意義を誇示するべく

あなたの手のひらが欄干を撫でたとき

僕は後頭部からきれいさっぱりすっぽぬけて

そのあと、空に、願いました

どうか宝くじが当たりませんように

 

       いづれ去りゆく情調に ここぞと活路は託されて

       ひとり向き合う面影を やがて染めゆく独我論

       日々の情緒を注ぎ込んだ 泉で佇む水仙

       ネーミング・ライツ ただひとつ

       ネーミング・ライツ その時まで

 

自認、隠しトラックのつもりでした

ピューリタンの、耳触りと意味の乖離

そこの隙間に住んでます、いまも、これからも

変なことをしますけど、名前を付けないで下さい

 

あとで、死にたくなったひとになんて言おう

それは、ひどく眠気を誘って、

この時間が、必要にも、無為にも思えてきて

寝る前に、とりあえず、祈りました

夢の中でも、いつもみたいに走れますように

 

       ぼくらの代理戦争で 夕焼け虚しく破裂して

       やがて訪れる静寂に 悼む間もなく名付けられ

       木々が濾過した安寧に あえてひとつの影落とす

       ネーミング・ライツ かいくぐって

       ネーミング・ライツ 誰のもの