センスと煩悩について

 

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だけど → だけれど にするだけで、一気に文筆感が増す。作文になる。音読になる。説教臭くなる。ツイ主というよりも筆者と言った方がしっくりくるようになる。それを書いたソイツが、文章を書く上でどれだけセンスがあると思われたいかが分かる。

会話の中で だけれど を持ってくる人もいるけど、正直少し胡散臭い。別に大した意図はないだろうけど。別に苦手にもならないけど。

 

僕は、俺は、私は、ワイは会話の中ではできるだけフランクでありたいと思っている。普段ツイッターやブログでは訳の分からないことばかり言っているので、実際に話してみたら意外と普通だ、的な人間味を残したいというセルフブランディングでもある。

いや、プロセスが逆だ。普段は普通なのに、SNSを覗いてみたらよく分からないことを言っている、というミステリアスさを出したいの方が正しいかもしれない。

いずれにせよそういったセンスありたい煩悩のせいで自分の見え方ばかりを気にしてしまっているのが俺の悪いところである。

実際に今も、俯瞰的に自己を分析できている感を出したい煩悩でこの文章を書いているし、この発言すらも、それに言及することによってさらに上のレベルにいきたい煩悩で書いている。そしてこの発言も...といった具合に俺の煩悩は無限に張り巡らされている。

 

そして残念ながら、ワイのセンスには1ミリも努力が伴っていない。ウチは本当に努力と呼べるような努力が出来ない悲しい人間らしい。ウケる。

つまり、あたいのセンスは全て小手先のものであり、玄人に査定されようものなら一瞬で看破されてしまう。そんな付け焼き刃のみでワシはここまで生きてきてしまったのじゃ。

 

最近そんなことばかり考えていたら、自分が本当は何が好きで何が嫌いなのかが分からなくなってしまった。本当に好きだと思っているものも、本当に嫌いだと思っていたものも、実際には自分のファッションの様にしか考えていなくて、何が好きで何が嫌いであればセンスがいいのか、が常に念頭にあるように感じる。本当は何も好きじゃないし何も嫌いではないのではないか。時折そんな不安に駆られる。

 

人間関係もそう。誰といて楽しいとか嬉しいとかじゃなく、誰といるべきか、どのような人と関わるべきかを常に考えてしまっているような気がする。それが悪いこと、とは言いきれないけど凄く悲しい行為だ。俺は故意的にそんなことをしているつもりはないけど、無意識的にはどうか分からない。もちろん全部が全部そうではないけど、心当たりがないともいえない。今は違くても、はじめはそうだった関係もあるかもしれない。まあそれは別にいいか。

 

人に優しくするのも、そうした方がいいから。

人の悪口を言わないのも、悪口を言うような人として見られたくないから。

優しい人のようで、結局俺は他者の気持ちなんて全く考えていない。自分のことだけ。

色々考えるけど、結局は自分のことだけ。

色々言うけど、結局は自分のことだけ。

色々あったけど、結局は自分のことだけ。

結局は、自分のことだけ。

自分のために、ただ良い人を模倣しているだけに過ぎない。人からどう見られるか、それだけを気にしている。おためごかしの優しさ。良い人と思われたいという、煩悩。

人間なんてみんなそんなもんだと言われればそうかもしれないけど、俺はどこか諦めきれない。いつか本当の意味での優しさを掴むことが出来るだろうか。

 

俺はよく「死にたい」と口にするが、本当に死んでしまいたいと思ったことは1度もないと思う。死にたいと言ってしまえるほど憂鬱だ、と言う方が正しい。

俺は、皆は、死という概念をなにか説得力を増幅させるための手段として利用している節がある。

会話にも、詩にも、短歌にも。死の匂いをちらつかせることによって世界観を構築し、説得力をもたせている。

死は人間にとって1番身近で1番怖いものだから、手段として利用されたものだと分かっていたとしても、茶化す気にもならなければ無視することもできない。説得力を感じざるを得ない。ずるくて、卑怯で、最悪の手段だ。

小学校低学年の頃、母親と喧嘩した際に「俺なんか死んだ方がいいんでしょ」と言ってしまったことがある。本心はそんな風には思っていなかったが、死の雰囲気を纏うことで、今俺がどれだけ傷付いているのか知って欲しい、そんな魂胆での発言だった。

母には酷く叱責されたが、喧嘩はそこで終わり、その後母はどこか優しくなった。俺の思惑通りだった訳である。

今思い返せば、この時に俺はそんな卑怯な手段を覚えてしまったのだろう。

しかし、創作や生活において死が重要な役割を担っているというのもまた事実である。ずるくて卑怯だが、死の雰囲気が持つ儚さや美しさ、その説得力は何物にも代えがたい。実際に今後も俺は、そういった創作物を好んで読み、そういったテイストの詩を書くだろう。

だからこそ分からない。この感動が、情調が、承認が、正しいものなのか。

お前は断罪されるべきウホ。

ほら、断罪ゴリラはこう言っている。